DON'CRY(ドンクライ)

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「ヤリチンにだけは絶対になるな」エロゲ主人公に憧れて10人の女性と関係を持った男の激白

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(出典:amazon / ©キングレコード

この記事は、過去の僕のような最低なヤリチンと、 そんな最低なヤリチンに傷つけられる人が、 少しでも減ってくれればと思って書きます。


「自分は何者になりたいのか?」
「何をしたいのか?」
生きていく中で、誰もが直面するテーマですよね。

医者、弁護士…様々な選択肢がある中、僕がどうしてもなりたかったものは、「エロゲ主人公」でした。

エロゲの主人公とは、得てして凄い取り柄もないのに、やたらとモテて色んな子とヤリたい放題という特徴を持つ男のこと。
そして、そんなディスプレイの中の彼らのように、狙いを定めた女性を攻略するため、ルートに突入、フラグの形成と回収を繰り返し、そして関係を持つ...。
そうすることで、自分は満たされるはず...自分を好きになれるはず...!  そう思っていました。

だけど、それは全て幻想だったんです。

 

何者にもなれないのなら、エロゲ主人公になるしかない

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何者にもなれない。
この苦しみを抱え始めたのは高校時代だった。その頃の僕はとにかく人から認められたかった。承認欲求がすごかった。

例えば、当時流行っていた「前略プロフィール」で、弟の携帯から掲示板に女子の名前でカキコして、「女子からカキコされた(笑)」と家族に見せびらかしたり、「外でバンドやっている」という設定のために、一度も弾いたことがない父親のギターを学校に持ち歩いたりしていた。

しかし、通っていた高校は勉強も運動も僕よりできる奴ばかりで、まともに張り合っても彼らに勝てない。「秀才」にも「スポーツマン」にもなれない。認めてもらえない。

だから僕は、斜に構えることにした。そんな立ち振る舞いがカッコイイと思い込んでいた。

アシメントリーの長い前髪で片目を隠し、ピンをしたり、黒っぽい服ばかり着たりした。「高校の奴らは皆流されてる。没個性のつまらない奴ばかりだ」と口癖のように言っていた。

勿論、クラスの輪に加わることなんてできなかった。「群れないアイツ」がカッコイイと思っていたからである。

今思えば本当にただのアホなのだが、それで本当にモテると思っていたんだからしょうがない。
当然、告白イベントどころか女子との会話もロクにないまま、3年間はあっという間に終わった。心を許せる友人は1人も出来ず、加えて、大して勉強もしていなかったので、大学受験にも失敗。

一体、自分の青春時代とは何だったのか? 
受験に失敗した劣等感と羞恥心で死にそうになった。

四月から大学進学が決まっている同級生たちが春休みをワイワイキャッキャ遊んで過ごすのを尻目に、僕は予備校が始まるまで家に引き篭ってひたすらニコニコ動画に没頭した。

そんな時、春日野 穹(かすがの そら)ちゃんが舞い降りたのだ。

いつものように昼過ぎに起き、まっさきにニコニコ動画のランキングをチェックしたら、なんだか見慣れない、エッチなサムネイルの動画を見つけた。それがエロゲ原作のアニメ、「ヨスガノソラ」である。

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(出典:amazon / ©キングレコード

この作品のストーリーは、主人公と、双子の妹である穹ちゃん(画像右)が周囲に後ろ指を刺されながらエッチなことをするという話なのだが、近親相姦という倫理に触れるテーマにひどく興奮した。

でも、何より衝撃的だったのは、エロゲ共通のフォーマットである。

つまり、さえない主人公が、身の回りの気になる女の子とねんごろになり、性交をする。そして、この一連の流れを、ヒロインの数だけ繰り返す。例外はあれど、多くのエロゲは大体このフォーマットに沿っている。

「ナンダコレ フザケンナ シネヨ」
エロゲの主人公を初めて見たとき、脳の活動が突如ストップするくらいの激情を抱いた。猛烈な嫉妬心が湧き上がってきたのである。

エロゲの主人公はカッコ悪い。勉強も運動もできないヘタレ。まるで僕だ。
なのに、コイツはモテて女性と関係を持ちまくっている。プレイボーイのヤリチン。
対して僕は童貞の引きこもり。

「テメェェくそゴラァァァァァァァァァァァ」

その日は一日中、ニコ動のコメント欄をエロゲ主人公への暴言で埋め尽くした。

僕だって本当はモテたかった…。スポーツもできて、勉強もできる、優秀でモテるやつになりたかった!

でも、そうなれないからカッコつけてきたのに、なんで全然モテないんだよ!!! で、なんでお前はモテるんだよ!!!

今思えば完全なる当てつけなのだが、そんな怒りと嫉妬に狂いながらも、ゲーム版の「ヨスガノソラ」もプレイした。相変わらず穹ちゃんは可愛くて、主人公はアニメ以上にヤリまくっていた。

「・・・」
怒りと嫉妬を通り越したとき、人間は何も話せなくなるんだと知った。

でも、色んなルートを攻略していくうちに、いつしか主人公へ憧れを抱く自分がいる。
なぜならエロゲの主人公は、普段はヘタレなのに、何だかんだやる時はやるし、女の子を口説くときはカッコ良く口説けるからだ。そして、女の子は主人公に惚れ、ベッドイン。。。

「ああ…こうなりたい…」
心のどこかで無意識的にそう思った。

エロゲの主人公みたいになりたい…。大学デビューして、色んな女性とエッチするんだ!
そう思うと、なんだか受験勉強を頑張れる気がした。

 

自分の弱さを見せられる浪人時代

浪人時代は、自分にとって必要な時間だった。初めて、友人ができたからだ。

予備校入学当初は、高校の延長で、やはり斜に構えた振る舞いをしてしまっていた。クラスメイトは高校と同じような感じで、キラキラした奴ばかり。

隣の席は生田斗真似のイケメン、かつコミュ力が高そうな奴で、いけ好かなかった。

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(出典:amazon

一年間ぼっちで、大人しく勉強するのだろうな。そう思っていた。

そんな、ある日の古典の授業中、同じクラスの女子が、床に落ちた物を拾うために前屈みになったことがあった。僕の童貞センサーが「これはチャンスだ」と反応した。
そう、僕は知っていたのだ、その女子が巨乳だということを。
本能に赴くがままに視線はクラスメイトのグレートキャニオンへ。
そして見た…!  その子の緩めの胸元から、たわわが…!たわわしかけた瞬間を…!
でも、その瞬間、正気に戻った。
おっぱいを見ていたことは絶対にバレてはいけない。なんたって、僕はカッコつけているからである。名残惜しみながら視線を正面に戻した。

が、隣のイケメンが、なんと未だにがっつりおっぱいの方向を見ているのである!

コ、コイツ…馬鹿なのか!? 
羞恥心とかないのか!?

女の子が顔を上げて怪訝そうな顔でイケメンを見てから、奴はようやく視線を前に戻した。当然、イケメンと視線が交わる。
イケメンはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。何故か、僕もつられて笑ってしまった。

見てたっしょ?
休み時間が始まると、すかさずイケメンが話しかけてきた。言わずもがなおっぱいのことだろう。

普段なら話しかけられても素っ気無く流していたけれど、見られていた以上、繕いようがなかったし、貴重なポロリをみれた興奮や、それを誰かと共有できる嬉しさから、このイケメンと話してみたいとさえ思った。

その日から、隣のイケメンと少しずつ言葉を交わし始めた。
慣れて無さ過ぎる状況に初めは戸惑ったが、会話の中でふとイケメンが放った一言が僕を救った。

でもさ、俺、童貞なんだよね
不思議だった。自分とは違う側の人間だと思っていたのに…。

言わずにはいられなかった。
僕も、童貞だよ

この時、僕は初めて友人というものが出来たのだと思う。

何よりも、彼も自分と同じ童貞で、さらに受験に失敗する経験をしている。
だからコイツになら、弱みを見せられた。かっこつけなくてよかった。

イケメンと切磋琢磨しながらしっかり勉強して、たまに息抜きのエロゲで主人公然としたありかたを勉強して、抜いて。

しんどい時はイケメンと、穹ちゃんが支えてくれた。
それから数か月、無事大学に合格でき、上京が決まった。
それは同時に、イケメンとの別れが決まった瞬間でもあった。

「「ハタチまでにお互い童貞を捨てるぞ!」」
イケメンと離ればなれになるのは正直言ってめちゃくちゃ寂しかったけど、そんな誓いを立て、僕はド田舎の地元を飛び出したのだった。

 

上京して10人の女性と関係を持ったのに・・・

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上京してすぐに風俗へ行き童貞を卒業して自信がついた僕は、世に解き放たれた。

かくして、僕はほぼ同時に10人の女性と関係を持った。

とにかく、女性と関係を持てる場所に行った。
出会いは様々だ。バイト先のお客さんとか、相席居酒屋で知り合った人とか。
とにかく、相手の懐に入るためには何か、自分と共通点があって、会話の糸口さえあればよかった。

そんな女性と飲んで、身の上話を聞き、その人の深い悩みや負い目を聞いてみる。それからは、エロゲ主人公に学んだ通りに行動する。

「すごい分かるよ...大変だったね」
そういって本気で共感するフリをして、
「僕にもそういう経験があって...」
経験をその場で捏造していた。嘘をついていたのだ。

本当に最低の人間だ。地獄に堕ちたらいいと思う。

でもそうやって女性たちにとって、かけがえのない存在になっていった。嘘をついて共感すると、みな身体を許してくれた。

そんな女性が10人。
エロゲに換算すると、だいたい2本分くらいの体験人数だった。

そう確かに、僕はエロゲ主人公になった。 田舎から這い出し、憧れの街東京で、エロゲの主人公になることができたのだ。

しかし、何故かその体験のどれもがバッドエンドに終わっていた。

関係を持った女性と、二度と会いたくなくなってしまうことさえあった。勝手に自分から肉体関係をもったのに、事後には僕がひどく憂鬱な気分になり、その女性のLINEをブロックして連絡を取らなくなったりさえした。

書いていて、泣きそうになってきた。 思い出すと、申し訳無さと自己嫌悪で死にたくなる夜がある。 なんでこんなことしたのだろうか。

なりたかったはずのエロゲの主人公になれたはずなのに、なぜこんなにも満たされないのか?

今まで、物事が思い通りに進んだ試しがなかった自分が、初めて、自らの思った方向に物事を持っていくことができた。普通なら成功体験だ。

そんな自分を誇りたいくらいなのに、なりたいはずの自分に近づくごとに、空虚さが増していく、自分のことが嫌いになっていく。死にたくなってくる。

セックスでは、何も変われなかった。

僕は、決して主人公なんかじゃなかったし、ただ色々な女性を傷つけただけだった。 そして、同時に自分の価値まで貶めた。

結局、僕は何者にもなれていなかったのだ。

 

好きな人に、本当の自分なんて言えるわけがない。つまらない男のまま、振られて終わった

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 でも、こんな僕にも、好きな人はいた。
小学校からの幼馴染的な存在で、高校の同級生でもある人だ。
大学に進学するとイケメンや家族、知り合いたちとは疎遠になって行きがちだったが、彼女とは定期的に会っていた。

彼女は、昔から勉強も運動もできる、普通なら僕とは縁のないような人だ。 そんな彼女は誰とも分け隔てなく、あたたかな態度で接し人間関係を築ける、太陽のような人だっ た。
こじれていた高校時代も、違う意味でこじれていた大学時代も変わらずに接してくれる彼女といると、不思議と安心できる自分がいた。こんな自分でも、生きていていいと思えた。
そんな彼女が、何か悩みを抱えた時に、自分だけを頼ってくれた時は、どれだけ嬉しかっただろう。この人のためなら何でもできると思った。

その一方で、僕は彼女に対して秘密を抱えていた。 「エロゲの主人公に憧れて東京に出て、ヤリまくったんだ!」なんて言えるわけがない。

彼女に嫌われたくない一心で、当たり障りのないつまらない奴になっていくことを、本当は自覚していた。そんな男を好きになってくれるワケがない。

それでも一歩踏み出した。

「ごめん。あなたをそういう風に見たことなかったし、告白もして欲しくなかった。いい友達でいて欲しかったのに…」

やはり、僕は彼女にとっての特別な人にはなれないようだった。

 

嘘の愛で女性に近づけば、嘘の自分を見せ続ける苦しみを背負う

なぜ女性と関係を持つことがこんなに苦しいのだろう?

でも、今ならわかる気がする。
それは僕が、自分をさらけ出していないからだ。
相手にとって都合の良い自分を演じていた。
嘘の愛で女性に近づき、懐に飛び込んだ。
そうなると、その人の前では僕はずっと嘘をつき続けないといけない。その人が求めているのは嘘の自分だから。

けど、本当はそれが苦しかった。それが10人分あった。

エロゲの主人公になっても、幸せにはなれない。
となると、僕は一体何になりたかったのだろう。

また、自分が何者なのかわからなくなってしまった。

 

分人主義が僕にとっての光りになる

どうしようもない苦しみから、SNS経由で連絡を取り、編集長のノダショーさんに上記の悩みを相談したところ、ある本を紹介してくださった。

平野啓一郎著『私とは何か--「個人」から「分人」へ』である。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 曰く、この本で書かれている、分人主義(ぶんじんしゅぎ)という考えで、僕の苦しみが説明できると言うのだ。

少し抽象的な話になるが、説明したい。
人は生きていく上で様々な顔を使い分けているという。
例えば、家族と接する自分、友達と接する自分、仕事で同僚と接する自分など。
そして、その対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」であるとする考えが分人主義だ。たった一つの本当の自分などなく、その全てが本当の自分であるということだ。

作中で、平野さんは愛についてこう述べている。

愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。

つまり、「相手を好き」ということは、「相手といるときに引き出される自分が好き」ということだ。
その話をノダショーさんから聞いた時、胸をえぐられたような心地だった。
女性が偽りだらけの僕と関係を持ってくれたのは、僕自身のことを好きになってくれたわけじゃない。
その女性にとって、都合の良い男でいてくれる僕によって、引き出される自分が好きだったのだ。そして、僕はそんな嘘で塗り固まった自分が嫌いだった。

予備校時代、イケメンと居た時の心地よさは、今でもしょっちゅう思い出す。 あの時は、自分の弱さをオープンにして、他者と関係を築くことができたはずだった。

なんでできなくなってしまったんだろうか。
嘘をつき続けてきた人間には、救いはないのだろうか。

もう僕が嘘をつくことはない。
弱さを出すのは恥ずかしくて辛いけど、それでも、人を傷つけたり、死にたくなるよりマシだった。

この文章を出すことだって怖い。
沢山の人に嫌われるかもしれない。批判されるとも思う。

それでも、僕のように自分に嘘をついて自分を満たそうとするヤリチンの人や、 そんなヤリチンの人に傷つけられる人が、少しでも減ってほしいと思って、この記事を書いた。

こんな僕は、いつか誰かに愛されるのだろうか。分からない。

でも、死にたくなるよりマシだった。読んでくれてありがとうございました。

書いた人:ぷりお