DON'CRY(ドンクライ)

アニメやマンガ、ゲームに小説、音楽など、「作品」によって孤独から救われて生きている人のためのメディア

「日常アニメが現実を忘れさせてくれる」現実逃避中の浪人生が語る切実すぎる孤独

ある日、編集部に届いたメール。

「ドンクライのコンセプトに強く共感しました。何か協力させてください。」

並々ならぬ想いを感じ、送り主の住む京都まで話を聞きに行った。

こうして実現したドンクライ初の読者投稿記事。
受験に失敗し、現実逃避中の19歳浪人生が、切実すぎる孤独な日常を語ってくれました。


 

どうも、じんべです。最初なので自己紹介をさせてください。

京都在住の19才。本当なら今ごろ大学生(19)を謳歌しているはずだったが、大学受験に失敗したために、浪人生(19)になってしまった。

それから半年以上、ずーっとくだらない日々を送っている。大半は自宅にいるから、ニートと言ってもあながち間違いじゃない。
というか、受験生としての本分であろう勉強を蔑ろにして、結構な時間をゲームやアニメに費やしてしまっている俺をニートと呼ばずして何と呼ぶのか。

まあ要するに、長い間、辛い現実から目を背け続けてるってわけだ。

今回書きたいのは、そんなゴミクズ浪人生が日常アニメに少し救われたっていうお話です。

 

 

一発勝負のセンター試験で大爆死

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どうして俺がこんな現実逃避を続けるゴミクズになってしまったのか。

お分かりの通り、原因は「受験失敗」にある。その前に高校時代の話をしたい。俺だって、ずっとクズだったってわけではなかったんだ。

高校時代の大半は最高だった。一般には進学校と呼ばれる高校に通っていたが、実際の生徒のレベルはマチマチ。校風はかなり自由。とりあえず、個性的な人間が多かった。

そんな高校で俺は副生徒会長を務めたり、軽音楽部でバンドを組んだり、彼女ができたり。ああ青春!成績だって良い方だった。なんか、言い訳みたいだけど。

いよいよ受験生になって、志望大学が決まった。その大学を目指して大方真面目に受験勉強を一年間続けた。
今思えば間違いだったのかもしれないが、「本当に行きたい大学に行く」ために、滑り止めらしい滑り止めは受験しないことにした。

 

そして、ついにセンター試験を迎える。
雪の降る寒い朝。気候のせいか緊張のせいか、身を震わせながら会場に向かう。
ああ試験が始まる。ついに始まるんだ。一限目は地歴公民、得意教科の世界史。
いつも通りにやれば大丈夫だ。試験開始の合図と共に問題冊子を開く。

さてさて、第1問は―。

え?

問題文が一発では理解できない。もう一度読む。
まあだいたい分かったか…な。
とりあえず選択肢を見よう。まずは1番。

 「ネストリウス派は、漢代の中国に伝わった。」

ネストリウス派
ネ、ネ、ネス…トリウス派?
あ、あれ、頭に入ってこない…。
設問の言葉がゲシュタルト崩壊して、選択肢の意味が全く分からなかった。

「頭が真っ白になった」というのは、このことを言うんだろうなと思った。
自宅の住所みたく頭に刻みこんで記憶されたもの以外、つまりうろ覚えだったものは全て、彼方へと飛んでいってしまった。
あの感覚だけは忘れられない。悪夢のようだった。

そうこうしているうちに、時間は刻一刻と過ぎていく。そして一日目が終わった。
二つ意味で、終わったのだ。

一日目の結果が分かりきっていたからか、二日目は全く身が入らなかった。
朝寝坊しかけたほどだ。
そんなこんなでセンター試験が終わった。

まあしかし、センター試験マークシート方式。
運が良くて点数が取れているなんてこともある…わけないのである。

自己採点の結果は当然、

爆死

そう、爆死だ。爆死という言葉だけでは足りないかもしれない。
大・大・大爆死、そんなレベルだった。

試験後、周りには心の内を見せなかったが、ひどく落ちこんだ。どうしようもなかった。
それでも私大入試や国公立二次の日は迫ってくる。もうオワリだ。さようなら大学。

こうして俺は受験に失敗した。

 

まあインターネットで合格発表を見たときはショックだった。悔しい、悲しい。絶望という言葉が一番よく似合う。

しかしながら、そんな気持ちになったのはホンノ数日間だった。すぐに立ち直れた。

いや「立ち直れた」という表現には語弊がある。正確に言うならば、「どうでもよくなった」のである。

その理由は、間違いなく「結果は分かっていた」というところにある。
センター試験終了の時点ですでに受験戦争敗北したも同然だったのだ。

まあ終わってしまったことは仕方ない。

さあ気持ちを切り替えて、来年に向けて頑張ろう、となるはずだった。そうならない。
確かに気持ちは切り替わっていたが、方向が違っていた。

 「どうして俺はあの大学を目指していたのか

そんな気持ちが湧いてきていた。
あれだけ行きたい行きたいと言っていた大学の志望動機を忘れてしまったのだ。今でさえ思い出せない。
志望動機すら見失った状態で、両親に頼んで河●塾や駿●に通わせてもらおうとは思わなかった。

そうしてグダグタと過ごしているうちに半年も経ってしまった。

 

睡眠時間は3時間? 現実逃避生活の実体

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それでは、ここから、半年の素晴らしい現実逃避生活について紹介しよう。

朝7時、起床。寝巻きからジャージに着替えて散歩に行く。
ニートが家に引きこもってばっかりだと思っていたら大間違いだからな。

小高い山のようになっている公園に向かい、ひたすら登る。展望台到着。

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同じ地点から、同じ画角で写真を撮るのが日課だ。季節の移り変わりが感じられて非常に良い。最近では紅葉も見られた。

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山を降りる。竹林を横目に神社へ向かう。なんと日本で唯一髪の毛が祀られている神社らしい。

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ここで「おっさんになっても髪がなくなりませんように」とお願いする。
「本当に頼むよ、神様」と心の中で念押し。

来た道を少し戻って「竹林の路」へ。

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緑がいっぱい、目が良くなりそうだ。この竹林の路を抜けて嵐山のメインストリートに出る。あとは、駅前のコンビニで朝食のパンを買って帰宅する。

散歩後は基本的にはフリーだ。街に出て本屋に行ったり、録っておいたアニメを観たり、PCゲームをしたり。

勉強?もちろん適度にしている。脳みそが腐らない程度にはね。

そうして朝方の4時に眠りに就く。先にも言った通り、起きるのは朝7時。頭や体を疲れるほど使わないからか、3時間睡眠でジューブンだ。

一日のかなりの部分を浪人生としては無意味な活動に費やしていることは理解している。だから、「やめろ」と言われれば大概のものはやめられる。

しかし「これだけは譲れない」というものがある。そう、アニメ鑑賞だ。
惰性で過ごしていると何をしていても虚無を感じるが、アニメを観ているときだけは違う。

中でも個性的なキャラクターたちの常日頃が描かれたアニメ、すなわち「日常アニメ」は、現実逃避生活をする上で絶対に必要なものだ。

 

アニメ『日常』が辛い現実を忘れさせてくれる 

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 『日常』という日常アニメをご存知だろうか。
原作がギャグ漫画だから、もはや非日常アニメだと思う人もいるかもしれないが、個人的には日常アニメの一つだと思っている。『日常』という名前だし。

このアニメは、簡単に説明すれば、時定高校の個性的なキャラクターたちによる「おかしな日常」が描かれたものである。
独特な世界観が大変面白いので、まだ観ていない人は是非。

ところで、日常アニメには他のアニメにはない特徴があると思う。

「日常生活」は現実に存在するものだが、「アニメの世界」は現実には存在しない。
つまり、日常アニメとは、現実的なものと非現実的なものを組み合わせたものなのだ。

これこそが日常アニメが現実逃避に必要な理由だ。描かれた「ありそうでない日常」に没入することができる。近くて遠い、そんな場所に行ける。

この何とも言えない現実性と非現実性の交錯に溺れることで、不思議と自らの辛い現実を忘れ去ってしまえるのだ。

『日常』の場合、通学中に空から鮭の切り身が落ちてくるなど、本当におかしなことが起こりはする。
しかし話の舞台はあくまでも「楽しい高校生活」、ありきたりな日常なのだ。

中学時代からよく日常アニメを観ていたが、『日常』ほど話の内容をはっきりと覚えているアニメはなかなかない。

校長と鹿の格闘(6話)、なのちゃんの初登校や有名な焼き鯖事件(14話)など、鮮明な記憶として残っている話は数多い。
その要因として、もちろん話にシュールな面白さがあるということが一番に挙げられるが、自分の場合はもう一つ、アニメの中の高校生活と、かつての高校生活を重ね合わせていることが関係していると思う。
さすがに『日常』レベルまではいかないが、自分の高校生活にもシュールな面白さがあった。

昼休みに突然顔にシュークリームをぶつけられるなんてことはザラだったし、授業中にカップ麺を調理して教師に没収されたなんてヤツもいた。
そんな破天荒な日常が楽しかった。本当に楽しかった。あの日々に戻りたいと心底思う。

そんなこんなで『日常』に熱中した俺は、全24話を2日ほどで観終えてしまった。
そのときに湧いてきた感情とは、まさにこの記事に書かれている通りだ。 

読者の方もお分かりだと思うが、この喪失感は何とも形容し難い。
もう続きはない。話の続きに没入する権利は与えられない。

でも、これはお告げなのかもしれない。アニメは言っているのだ、
「そろそろ現実に立ち帰れ」と。
しかし、まあ立ち帰れなかった。

センター試験当日に見た雪景色は、気づけば真っ赤に染まり紅葉を迎えている。
いや、それももう終わろうとしている。依然として勉強は手に付かない。

葉が散った裸の幹を横目に電車の駅でこの原稿を書いている。

 

なぜ浪人生の俺がドンクライで文章を書こうと思ったのか 

最後に、どうしてドンクライにて読者として記事を書かせてもらおうと思ったのかについて話したい。

ドンクライのコンセプトである「孤独」とはまさに、俺が現在進行形で感じているものだった。

浪人というのはひたすら独りである。
大手予備校にすら通っていないのだから。そんな孤独さの苦しみを誰かに伝えたかった。

そして、この原稿を書きながら、自身のこれからの人生について考えた。
結局何のためにどの大学を目指すのかとか、食っていくために何をして働くかとか。

しかし、それらは所詮ちっぽけなことなのだと気づいた。やり直しはいつだってできる。
人間は必死になっていろいろと悩む生き物らしいが、悩みから逃げたくなればまた日常アニメを観ればいい。
それから現実に立ち帰っても遅くはないだろう。
ゆっくりと自分のペースで歩んでいこうじゃないかってね。少し前を向けた気がした。

日常アニメで現実逃避、皆さんもたまにはいかがだろうか。

 

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